家族でオランダで暮らしていた頃、二人の息子はまだ中学と高校生でしたが、彼らにこんな話をしました。その後に、彼らの考えも聞き、いろいろ話に花が咲きました。今は懐かしい思い出の一つです。
* 人生は選択の連続。常にどちらを採るかを、本人が好むと好まざるに関わらず迫られる。 * そのときに選択の自由があるかどうかは、本人の実力次第で決まる。実力が無ければ、自分の意志と好みで自由に一方を選択することができない場合もでてくる。 * 若い時代の勉強というのは、この選択を迫られたときに自由意志で選択できる力(基本の能力)を身に着けておくことなのです。勉強をするときに、「こんなこと何の役に立つのか」という疑問を抱くことがしばしば有るだろうが、そのときには本人には分からないことが多い。ただただ将来の可能性への準備として努力する事が大切。 * たとえば、国際連盟の一員として働きたいと希望しても、自国語を含めて3ヶ国語以上(だったと思う)を自由に使えこなせる事が基本条件である。世界の弱者のために役立ちたいという崇高な目的を持ったとして、国際的なNGOで働く事を決めても、必要な言葉と専門性が無い事には誰も相手にしてくれないでしょう。国際弁護士になって世界の舞台で活躍したいと思っても、資格をとるためだけでも、並みの学力ではどうにもならない。 * このように次から次へと訪れてくる選択の機会に、自分の意志で選択をしながら自分の人生が決まっていく。或る時点で或る選択をした瞬間に、自分の人生が確定する、ということは自分の人生での選択肢の数が減っていくことに他ならない。人生を生きるということ、または歳をとっていくということは、こうして選択の可能性を減らしていくことなのです。そして最後に選択の余地の無い死によって人生は終了するのです。
by ja28tt
| 2005-02-06 08:43
| 私の子育て論
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