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Eco-economy,Lester Brownへの筑紫哲也のインタビュー

Part-2:地球破壊は秒読みに入っている

著書「PLAN-B」で博士は、地球環境が許容できる範囲での経済システムを提唱した。14カ国語に翻訳されている。Eco-Economyという言葉を使って次のように主張する。―――「経済と環境の関係を変えていかなければならない。ほとんどの事業家やエコノミストは、経済こそが地球を支える根本のシステムであり、環境というのはその一部でしかないと考えている。逆に、私[博士]のような自然科学を研究する立場の者は、環境こそが土台にあって、経済と言うのは環境に属する一部分でしかないと考えている。もし私達科学者が正しくて、経済が環境の一部でしか無いならば、経済システムは大元の環境に適応するようなシステムを採用しなければならないと思うのです。」

先のサミットでは、環境についてはなんら触れられなかった。テロリズムに注意を向ける余り環境への配慮を忘れていると、それは政情の不安を招き西洋文明の崩壊を目指すビン・ラディンとその仲間たちは,思いもしない方法でその目的を果たすことになる。環境破壊→食料難→テロの温床となる貧困を生み出す→テロの土壌を作ってしまう。貧困をなくすことこそテロと戦うことになる。

この後博士はいくつかの環境破壊の現状を紹介して,その意味を説明している。そして次のように予測する;「ここ2~3年のうちに世界規模での食料の値上がりが始まると予想される。それが「成長の限界」の始まりであり、地球破壊への秒読み開始であるでしょう。」

 以上が番組の概要です。Part-1でも紹介しました博士のアースポリシー研究所の今後の活動は注目に値すると思います。この番組後から現在までの活動について,私の興味に従って随時ご紹介していきたいと考えています。強い興味をお持ちのかたは,同研究所のホームページをご覧になることをお勧めします;http://www.earth-policy.org
# by ja28tt | 2005-03-24 16:20 | 今日考えたこと

Eco-economy,Lester Brownへの筑紫哲也のインタビュー

Part-1:PLAN-AとPLAN-B

 今日は表題のTV番組の私風の要約を書いてみます。[ ]内は私のコメントや注釈などです。

L. Brownはアメリカ農務省の経験を経て、環境団体「ワールドウォッチ」を創設。著書に「成長の限界」がる。[2001年には新たにアースポリシー研究所を創設]

現代では,干ばつ、洪水、豪雪、豪雨、熱波、など我々は危機的な状況にある。

博士は、ひたすら成長を求める現在の経済の有り様をPLAN-Aと呼ぶ。人間の経済活動が自然という元手から利息だけで食べている時代ならまだしも、いまや人類はその元本に手を付けてしまっている、と言う。その代案として博士はPLAN-Bを提唱する。

博士は言う:自然界のシステムというのは、経済用語で言えば資産の運用です。たとえば、海洋漁業というのは魚を取り過ぎない限り半永久的に続けられる。しかし、最近では世界の7割の漁業が魚が繁殖するスピードよりも早いペースで魚を取ってしまっている。その結果、多くの漁業の規模は縮小もしくは廃業してしまった。我々の生活は自然の許容範囲を超えてしまったのです。―――[ここで私は1986年頃に地中海に浮かぶ小さなギリシャの島でバケーションと楽しんだときのことを思い出しました。紺青とでも言えばよいのでしょうか、紫に近い真っ青な色の海、そこに転々と浮かぶ真っ白な島々と家々、平和そのものでさぞかし漁業が盛んで豊かな村々があることだろうと想像したが、どの島を訪れてもお年寄りと小さな子供ばかりで全く活気が無い。何故だろうとできるだけ村の人々に話を聞いてみました。たまに英語かフランス語が通じた。それによると、確かに以前は漁業が盛んで村人たちはそれを誇りとし、ある程度豊かな生活をエンジョイしていた。しかしいつの頃からか魚とりにダイナマイトを使うようになった。俄然漁獲量は増加し、豊かさも増したが、瞬く間に魚は居なくなってしまった。今では働き手は本土へ出稼ぎにいくより食いつなぐ方法はなくなってしまった。みると男のお年寄りの手の指が満足にそろっている人は一人も居なかった。ダイナマイトの取り扱いの失敗で吹っ飛んでしまったとのことだった。]

Part-2につづきます。
# by ja28tt | 2005-03-22 12:06 | 今日考えたこと

オリジナリティと思考

数日旅に出ていたためにブログへの投稿を休んでおりました。列車などの乗り物の中は私にとっての思考のための絶好の場になります。しかし今回は一人での移動ではなかったために,その機会はごく限られたものとなりました。という言い訳を申し上げたところで,今日の軽い話題を―――。

オリジナルなアイディアというのは、なにを以ってオリジナルと言えるのでしょうか?

自分でオリジナルだと思っても,どこかで聞いたり読んだりしたことかもしれません。このように記憶が定かでないためにオリジナルだと思い込むこともあるでしょう。特に歳をとるに従って,その可能性はどんどん高くなっています。私も日頃自分に言いかせていなければならない歳になりました。

ひとが何かを考えるという作業は、今まで蓄えた雑多な知識や経験の一部を記憶から取り出してきて組み合わせる、という作業に他ならないのではないでしょうか。即ち膨大な記憶の中から一部を選択(どの記憶を材料として使うのかを選択)して取り出し、それらを統合する,という一連の作業が思考或いは創造のプロセスなのでしょう。もちろん材料として使われる記憶は全てオリジナルではありません。それらを独自に組み合わせて新しいアイディアを作り上げることにオリジナリティ(=創造性)がありえるのではないでしょうか。
# by ja28tt | 2005-03-20 16:38 | 今日考えたこと

国家とはそもそもどういうものなの?

Part-5:ローカライゼイションと教育

 今日は第二の方向,政治の地方化について考えてみましょう。

ローカル・コミュニティが基本単位として大切なことは,ひとが人間的なコミュニケーションを維持できる人数はごく限られている、という事実から納得できます。私ごとで恐縮ですが,ある企業で新工場の立ち上げを担当したときに私が採用した組織の運営で、それが真実であることが証明されました。すなわち,組織の最小単位として6~8人のグループを作り,それを作業単位としたのです。その最小単位から一人を選出し,その選出された人達6~8人でまた上位の組織をつくる。こうして次々に上位組織をつくりピラミッド状のネットワークを作ったのです。これによってトップからボトムの方向だけでなく,ボトムからトップへの意志の疎通がほぼ完全に確保されました。全員の意欲(発案や自主管理)は相当なものでした。

ここに政治と経済の地方化の意味があり、ローカルユニットのサイズを決める基準があります。また、国境を無くすこととあいまって,地理的な移動の自由(住む場所の選択の自由)が保障され、住み易い場所を作る競争が許される。税金も好きなところに納める。これこそが真のデモクラットなコミュニティではないでしょうか。

最後にぜひ付け加えておきたいのが教育の問題です。こうした新しい組織が成り立つためには,いまよりも遥に教育が重要なものとなります。その教育では,従来の知育(歴史,国語,数学,理科,芸術を知らないのでは,何も自分で考えることも実行することもできません)に加えて,個人の「知恵」を育むことが第一の目標におかれるべきです。東洋的な知恵ともいうべき「慈悲」の心(おもいやり)を育て、各人の悟り(自分の存在の真理を納得)が卒業目標となるようなものであるべきではないでしょうか(と言っても宗教とは全く関わりありません。新しい国連憲章でいうスピリチュアルな領域です)。世界の真の平和を実現し維持するためにはこれ以外の選択はないのではないでしょうか。

 長い間お付き合いくださり,ありがとうございました。フランクなご意見お待ちしています。
# by ja28tt | 2005-03-15 16:45 | 国家と平和

国家とはそもそもどういうものなの?

Part-4:国境を無くして世界をどうするか

 Part-3までで組織が大きくなると独立した「意志」を持つようになり,もはや組織の構成員のコントロールは効かなくなり,勝手に動き回るようになる。これが「国家」の場合,国家のエゴとなることをお話してきました。

非人間化した組織の弊害を取り除くためは,二つの方向を同時に進める必要があります。一つは,国家のエゴは国家という組織が在るから生じるのですから,その国家を無くしてしまえばよいわけです。すなわち国境を取り払うことです。二つには,逆に現在の全ての活動をミクロな活動単位に分解して,コミュニケーションが維持できる(人間性を維持できる,組織の意志を生じさせない)組織をつくることです。政治の完全な地方化というかコミュニティ化です。

第一の国境を無くすこと。実はこの点については大きな実験がすでに進行中です。そう,EUです。 EU内の国境は事実上なくなっています。当然のことながら、その動きは経済面が優先していますが、やがてEUの憲法ができ、それが国際法の雛形になるか、それに緊密にリンクするところまで行けば完成といえるのではないでしょうか。もちろん、この最終段階に来ても、文化的な国境というか、文化圏的な境は残るべきでしょう。言葉とか、いわゆる伝統文化、風土的・民族的な特徴などはむしろ強調され、保護されていくべきだと思います。特に言葉と文化は切り離せないものだという認識は大切でしょう。

次の段階は、EU的なものをアジア圏にもつくり、さらには南アメリカ、アフリカ圏にも作ることです。多分アメリカ合衆国は最後まで取り残されることになるでしょう。現在ようにユニラテラリズムをかざして世界を自分の思うとおりにしようとする国民意識が変わらない限り,国境を無くす動きは生じてこないでしょう。オーストラリアも現在のように大国(アメリカとイギリス)にただフォローするようでは,アジア圏として加われるかどうか疑問です。カナダはどうするでしょうか?ちょっと予測が難しいところですね。まあ、とにかくアメリカを、それに劣らない規模の経済圏を作ることによって包囲し、現在のアメリカのunilateral 戦略を無効にすることができよう。中近東の問題はEUとアフリカ圏とアジア圏で包囲することで徐々に解決していくことになるでしょう。(元)共産圏の国々、ロシアと中国と北朝鮮はどうするでしょうか。当分は彼ら自身の選択に任せることにしましょう。

平和な世界は、巨大組織のコントロールを排除して(国家の場合は国境を無くして)総ての個人が自分の意志で行動できるようにすることによって実現できます。そのためには最低限の生活(食料と住居)が保障され、思想と移動の自由が保障されることではないでしょうか。これ以外のことは個人の裁量に任されるべきで,国家などの組織が手を出すのは余分なことです。この国境無しの世界の中では、世界をよりよくするための個人レベルの努力が期待され,評価されます。この個人レベルでの努力が各個人の人生の目標となることでしょう。

Part-5につづきます。
# by ja28tt | 2005-03-13 10:48 | 国家と平和